尾瀬の自然と電力会社の使命

  桧枝岐村から新潟県に越える途中に尾瀬への入口、御池(みいけ)を通る。
 尾瀬へはマイカー規制のため、ここが登山口となる。
 尾瀬沼へ向かう最も近い登山口である沼山峠へはここからシャトルバスに乗り換え、およそ10キロの林道を揺られてゆく。
  登山道とはいえ、木道が整備されているため、沼山峠から尾瀬沼までは初級者コース。 私の脚力ではこのコースがちょうどいい。 泊まりがけの場合は尾瀬沼畔の山小屋を利用する。

 尾瀬と東京電力の間には深いつながりがある。
その歴史について、東京電力のウェブサイト
[https://www.tepco.co.jp/oze/deai/history-j.html]
から引用して紹介すると、

「1890年(明治23年)、平野長蔵氏が尾瀬沼岬に行人小屋を建てたことをもって尾瀬開山と言われていています。」

「1903年(明治36年)には尾瀬における水力発電計画が発表されました。 当時は富国強兵のため、電力の増産は国を挙げての課題だったのです。 この計画に基づき大正時代の電力会社(利根発電)が尾瀬の土地を買収したことが、 尾瀬と電力会社との出会いとなりました。」

「その後尾瀬は1951年(昭和26年)の東京電力設立時に、 前身の会社(東京電燈)から引き継がれたのです。」

「昭和30年代後半に、尾瀬の美しさにひかれてやってくるハイカーの数が増えるにつれて、 また、当時は木道や公衆トイレなどの設備が整っていなかったため、 尾瀬の自然は瞬く間に荒廃していきました。 東京電力は、その頃から、一度失われた自然を守ろうと、 尾瀬の“自然保護”に力を注ぐようになったのです。 湿原を踏み荒らすことなく、人と自然が触れ合えるように、 約20km(全長65km)にわたる木道を敷設したり、 アヤメ平の湿原回復作業などに取り組んでいます。」

 尾瀬の木道はとてもよく整備されている。 木道の整備は尾瀬の自然を守るためにとても重要な役割を果たす。
 このことを知ってから、私は尾瀬を歩くたびに東京電力に感謝するようになった。 万感の思いで尾瀬の自然を愛するようになった。

 東京電力は、2011年から一度失われた福島の自然を守るため、 被曝地の除染作業・原発の廃炉作業などに取り組んでいる。引き続き福島のみならず地球規模の“自然保護”に力を注いでほしい。
 東京電力は、ひろく地球の持続的発展のため、未来に向けてこれ以上核のゴミを排出しないよう力を注いでほしい。

 国内外の他の電力会社も、東京電力に倣って、 これを電力会社の社会的使命と心得て脱原発にむけて全力を注いでほしい。 そうすればきっと、真にクリーンなエネルギーによる持続的発展型社会が実現するだろう。

 廃炉に向けてその先30年以上にわたり人類未踏の困難が待ち受けている。 日本が世界に誇る原子力技術を、その平和的廃炉のために活かす時代が到来するだろう。

 脱原発に向けて世界が協調すれば、核なき世界へ向けて大きな一歩になるはずだ。

2021年 10月

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