会津を旅して日本の未来を考える

 桧枝岐村(ひのえまたむら)。  福島県の南西端部最奥の地。 村の誕生は明治時代であるが ここに人が移り住んできたのは 今から800年以上も昔、鎌倉時代初期のこととの伝説が残る。

 豪雪地帯にあり、 会津と新潟県魚沼市をむすぶ国道352号線の 新潟県境から先は通行止めとなり、 冬の間は最果ての地となる。

 伊南川沿いの道を下り南郷という町に出るには道を車で20分はかかる。 車がなかった時代、 雪に閉ざされた冬の間、 町に買出しにゆくには、 早朝に村を出て、 家に帰るのは日が暮れるころであったと想像される。

 この村につたわる桧枝岐歌舞伎(ひのえまたかぶき)。
村の伝説によれば、

「その昔、江戸で歌舞伎を観劇した農民が、 見よう見まねで村に伝えたのがはじまりと言われています。 以来、親から子へと270余年に渡り継承され、 衣装作りから化粧など裏方もすべて村人が行っています。」
(南会津のウェブサイト
https://www.aizu-concierge.com/spot/791/
より引用)

 そのとき、村から遠く離れた江戸へ旅した農民にとって、 歌舞伎はどれほどまばゆく映ったことだろう。

 今も村に残る歌舞伎舞台は村役場のそば、深い森を背後に、 神社の境内のように静まり返った場所にある。 私が訪れたのは夏の盛りであった。
 舞台は明治26年の大火で消失し、明治30年頃に再建されたそうで、 100余年のあいだ、何度葺き替えられたであろうその草屋根のてっぺんに黄色い一輪の花が咲く。

 歌舞伎興行は年二回、5月と8月に行なわれることになっている。
 私が訪れた2020年の7月、 ここから車で5分ほど南郷に戻ったあたりの隣の村に「大桃の舞台」という歌舞伎舞台があり、 そこでは南会津地方の村々から集まった人々による踊りや能など恒例の芸能大会が開かれていた。 聞けば南会津には地区ごとの農民歌舞伎の一座があり、 同じように舞台も数多くあったという。

 私がこの村を何度も訪れるのは、 この村で見聞したことすべてがみずみずしく、 この村の祖先から継承された営みのかずかずを、 あますことなく学び、 感じたことを後世に伝えたいから、 だろうか。

 つぎにこの村を訪れる夏に、 きっと村の伝統行事を観劇しよう。

2021年 10月