里山をあるく


2005.5.2

昔の家づくりを通じて学ぶことのひとつに「地産地消」の考えがあります。
地元産の材料を使い、地場産業を振興させるという意味があります。
「日本の家づくりは日本の木で」
をスローガンを掲げて家づくりに取り組む人が増えてきました。 ところが日本の林業は衰退し、外来木材を消費しまくっている、 というのが現実です。
今、民家のいろりの火を囲みながら 林業家でもある「里山探検隊長」の話に耳を傾けているところ。
燃料の薪は近くの山で伐り出された間伐材。 間伐材は木炭にすることでさらに優れた燃料として重宝されました。 いろりの煙は薫煙(くんえん)作用により草屋根の耐久性を高める役目も果たしました。
山を守ることで林業はもとより、村の農業も、家づくりの文化も、秩序を保っていたのが、 木資源を燃料として使わなくなった頃から次第に山が荒れ始め、 その帰結として、いろりも、炭焼き小屋も、きこりも、茅葺き屋根も、 そしてなによりも村の、日本の地方の活気が消えてしまったそうです。
「民家の学校」で教わったこと、 それは「いい家・いい環境」をつくるには山を元気にすることだ、ということです。


2005.5.2

里山を歩くと、ときどきちいさな炭焼き小屋に出会います。 かつて、炭焼きが盛んだったこの村も、 多くの人たちが山を下りた今、 数えるほどしか炭焼き小屋が残っていません。
ひとり、ふたりと山を下りるその歩調に合わせるかのように 炭焼き小屋も、いろりも、草屋根も姿を消していきました。
昭和40年頃のことです。
森の日当たりを良くするため、
枝を打ち、
つるを切り、
間伐を行い、
薪を割り、
炭を焼き、
燃料として活用し、
草屋根を維持し、
灰や古茅は肥料として大地に還元・・・
連綿と循環していた里山の営みが
すっかり過去のこととなってしまいました。

わずかな残り火を絶やすまい、 とそのちいさな小屋は語りかけてくるようでした。
手入れの行き届いた森を歩くと 愛情をもって山に接している人たちがいるのだな、 と心強く思えます。
山を守るこのちいさな営みが ひいては、地球温暖化を抑止する上でも、 大きな力になる、ということを もっと多くの人に知らせたい・・・
ふと見上げた空から明るい春の光が降り注いできました。

経済効果


2005.5.2

こんな話を聞きました。
「スギ植えるよりカヤ生産のほうが金になる」
この言葉は里山の深刻な現状を伝えています。
スギは植林してから一人前の大木として育つまで 50〜60年の歳月を待つことになります。 この間、下草刈り、枝打ち、つる切り、間伐など 山の手入れはとても手間がかかります。
10〜15年で一度目の間伐、 30〜40年で2度目の間伐、 主伐期を迎えるまでには数十年近く、山の面倒を見ます。
一方、カヤは、この辺りではススキが用いられます。 ススキは毎年、穂が垂れ下がる頃になると刈り取られ、 茅場に集められ蓄えられます。
間伐ですら10数年に一度、 主伐になると収入を得るのは 植林後実に50年以上も待たねばなりません。
林業に対し、カヤ売りは農作物と同じように
毎期の収入が見込めます。 このことだけでも、木を育てるよりカヤを売ったほうが 安定収入が得られるということ。
さらに。
木はかけた労力に比べると 一本の丸太価格が安すぎて とても採算が合わない・・・
そうして山を下りる林業家がしだいに増え 村の過疎化に拍車がかかる・・・
山に人手が入らなくなり山はしだいに荒れ、 地場産業である林業の退場とともに村に活力がなくなる。 日本の山村はざっとこんな調子で疲弊していきます。
では、スギより金になるカヤ生産は向上したかというと、 こちらも衰退の一途をたどっています。
これは明らかに茅屋根の家が減ったことによるもの (というより消滅したことによるもの)です。

消える共生と共助


2005.5.2

茅葺き屋根の家が減った。 葺き材の茅がなくなったからではなく、 維持管理に労力を要するから、と言われています。
茅屋根は寿命が長いよし葺きで50〜60年くらい。 すすきも比較的寿命が長い葺き材とされています。 すすきやよし葺きの1/3の寿命が麦わら葺きの、 その1/3が稲わら葺きの寿命とも言われ、 わら屋根はほぼ10年ごとに総葺き替えが必要、 となります。
この葺き替え作業は村における相互扶助の慣行として行われ、 年中行事として毎年1〜2軒が葺き替えの対象、 となっていたようです。
私が過ごしている民家は建坪40坪くらいですが 屋根面積は、ざっと倍の80坪。 そして、一度に葺き替えた場合は 屋根面積のおよそ5倍から10倍の茅場が必要、 と聞かされただけで 葺き材そのもののボリュームの大きさが想像できます。
林業に見切りをつけ、山を下りた人が増え、 農村でも若い働き手が減り、 過疎化により山村が疲弊しているのは 日本中にある光景ですが、 草屋根を維持する活力も同時に衰えていきました。
古くからある家でも 次第に金属屋根や瓦屋根に葺き替えられ ここ福島の里山でも 草屋根の家は数えるほどです。
かつての里山の建築文化はすなわち農耕文化。
里山の「木と土と草の家」を循環型社会のモデルとして考えていく上では 日本の農林業、特に山を豊かにさせることが 日本の建築文化を豊かにするために欠かせない、 とつくづく思うこの頃です。